若い人の死去の報(告げ)が入ると実に悲しくなります。「泣き葬式」になりますし、お通夜説教で何といえばよいか考えるだけで切なくなります。せめてもの供養にと戒名はよくよく考えることにしています。ご遺族から安心していただけるような字を選び並びを考えます。
当寺の檀家さんではないのですが、昨日切ないニュースが流れました。長岡市の中学3年生の男子生徒が信濃川で遺体で発見されたのです。数日前から行方不明であったために公開捜査となり大掛かりな捜査が行われていたのです。事件性は薄いようです。何らかの要因で川に転落したようです。私は全く知らない生徒さんですが、娘がよく知っていてとても心配していたので、私も妻も気にかけていました。残念という思いと見つかってよかったという思いとが交錯しました。妻が朝課でお経を一巻あげてやってと言うので、そうだなと思い如常の朝課が終わった後、特に大悲咒をあげ、彼の名前を読み上げて供養させてもらいました。
聞くところによると彼の中学校は今日が2学期の始業式だとか。親御さんの嘆き悲しみは言うまでもなく、2学期のスタートを悲しい知らせで始めなければならない先生方はさぞ切なかろうと思います。校長先生は始業式で何とお話になるのでしょう。担任の先生はどんな顔でクラスメイトを迎えるのでしょう。
彼の死に際し、それぞれの方が追善の思いと行為を深めていっていただければと思います。そして「はかない命」に思いを巡らしていただければと思います。
南無釈迦牟尼仏 合掌。
今日は私の6?才の誕生日です。だからと言って、この年になると何ということもないのですが、それでも家族からおめでとうと言われるとうれしいものです。
私のよく聞くFMラジオ番組(FMポート モーニングゲート)でDJさんの使う言い回しが気になっていました。リスナーさんの誕生日を紹介して、「今日は〇〇さんの誕生日です。この一年良い年でありますように。」と言うのです。初めて聞いた時は、お正月のあいさつみたいだなと思い、ちょっと違和感があったのですが、よく考えてみれば、誕生日を区切りの日としてとらえれば、誕生日の前日が大晦日で、誕生日が元旦だとも言うことができるわけですから、なるほどなと感心しました。年の数え方には、「満」と「数え」がありますね。このDJさんは「満」でとらえているわけですし、私の違和感は一年は正月から始まるという「数え」の先入観からきていたわけです。
お寺の世界では年回法要などは「数え」で数えます。亡くなったその日をすでに一日目としますので、初七日は満6日目、四十九日は満48日目ということになります。私の寺の檀家さんではないのですが、亡母の7回忌の連絡が実家から来ないので法事をしないのかなと思っていたら、翌年になって7回忌の案内が来たそうです。実家のお兄さんは満7年目と思っていたそうです。
私の寺ではこのようなことのないようにと、今年法事にあたっているお宅には年始にお伝えしていますが・・・。
このところ雨降りの日が続いています。盆前は38℃なんていう日があったりして庭の池の苔が焼けて真っ赤になってしまいましたが、盆の13日の頃から雨交じりの日が多くなってきて、梅雨に逆戻りしたかのようです。私は体調を崩してしまいあまり元気がないのですが、草は元気ですね。彼らの伸びのすさまじいこと、あっという間にいたる所が草ぼーぼーです。7月の末に檀家さんからボランティアで草取り、草刈りをしてもらいきれいにしたばかりなのにと愚痴りたくなるほどです。愚痴っていても草は伸びていきますので草取りをすることになるのですが、広い境内ですので取った後から生えてくるような状態で、きりがありません。
草取り作務をしながら思いました。草取りと浄髪は同じだなと。髪の毛も剃っても剃っても後から後からと生えてくる。人間の煩悩のようなもので、その都度きれいにしていかなければなりません。浄髪は煩悩を断つ代替行為であると私はとらえています。修行道場では四九日(四と九のつく日)に必ず浄髪をします。私は四九日にこだわらずに気のついたときに浄髪をしていますが、煩悩は相変わらずです。
草との戦いはまだしばらくは続きそうです。
今回は方丈様に代わりまして、智玄が帰山の報告をさせていただきます。
遅くなりましたが、ちょうど一か月前の3月9日に、福井県にある大本山永平寺より送行(そうあん:修行を終えて自分の師匠のお寺に帰ってくること)し、無事に帰ってまいりました。昨年の2月19日に光照寺を出発しましたので、丸一年と少しの間修行をしてきました。出発日のお見送りや6月の団体参拝で永平寺を訪ねていただいた皆様からの励ましのお声がけが、修行中の心が折れそうな時の支えとなりました。厳しい修行の中では精神が不安定になりがちですが、「応援してくれる人たちがいるから頑張らないと」と弱った心を強くしてくれました。
私のこの一年間を一言で表せば「感謝」です。在家からお寺に来て、何も知らない私に丁寧に教えてくださった師匠、長い間待っていてくれた家族、心配してくださった皆様、永平寺で共に修行した方々・・・すべての人に感謝しっぱなしの一年でした。多くの方の協力がなければ修行を続けることはできませんでした。
永平寺での修業は本当に貴重な体験でしたし、それができたことは幸せなことだと思います。振り返ってみて本当に永平寺の生活を体験できてよかったです。
私はこれからも「光照寺の若」として精進していく所存です。どうぞ末永く宜しくお願いいたします。(智玄)
前回の記事中「海の水を辞せざるは同事なり。」について、言葉としてよく理解できないという声がありました。かつての私もそうだったのですが、「海の水を」と「辞せざるは・・・」と区切って解釈するからわからないのです。「海の」と「水を辞せざるは・・・」と区切ればおわかりでしょう。「海の」の「の」は「が」の意味ですからね。
さて、この一文は道元禅師の正法眼蔵第28巻「菩提薩?四摂法」の一節なのですが、「海の水を辞せざるは同事なり。」に続けて道元様はこう言われています。「さらにしるべし、水の海を辞せざる徳も具足せるなり。」と。水もそそぐ先のどの海がいいとか区別しないので徳を備え持っているのだということです。どうせ海に注ぐなら太平洋がいいとか日本海がいいとか言わないのです。
水も海も、自然界そのままの姿でいる限り、徳の大きさを私たちに示してくれています。私たち人間もその在り様のままの状態であれば仏そのものであると道元禅師はお示しです。そのままの在り様でないから心が乱れたり煩悩にさいなまれたりするのです。
同事とは一つになること、区別しないこと。心がけておきたいものですね。