本堂前に並べたあじさいを眺めていただくために簡易イス(イチョウの木の丸太ですが)を用意しました。桜の木の木陰に置きましたが日差しを遮るために何かできないかと思い、お茶席の野点のような日傘を立てようと思い立ちました。安価でできないかとホームセンターを物色して、写真のような傘立てを作りました。
ですが失敗でした。傘が小さいし、ポールは長すぎ、日中と西日ではその都度位置を変えないといけないし・・・
ポールは単管パイプ150㎝、単管用のブロックピンコロ、女性用日傘の把手の曲がりを切り落とし単管に挿す。単管の穴が大きいのでコーナーテープを巻き付け落下防止策を施しました。アイデアは良かったんですがねぇ。トライアンドエラー。結局日傘を手で持ってもらうのが一番いいようです。
「何でも自分がやってみないとわからないものだ。やってみて間違って、そして身につくのだ。」先住和尚がいつも言っていた言葉が思い出されます。
写真:当寺の涅槃図掛け軸 お釈迦様の周りには大勢の尊者や弟子たち、鳥獣までもが集まり嘆き悲しんでいる様子が描かれています。
新型コロナ感染症で亡くなられた方は通常のお葬式というわけにはいかずお骨となってから遺族と対面されます。故志村けんさんや故岡江久美子さんの報道を見ると悲しくなります。親族なのに直接お別れもできないのかと。
3密回避で「お別れ」の仕方が様変わりしています。地元紙三条新聞の謹告欄には、そのほとんどが「・・・尚時節柄告別式は感染予防のため近親者のみにて相営みました」とか「・・・自宅にて家族葬で相営みました」となっています。大勢でお悔やみをし、向こうへの旅立ちを見送ることはできなくなっています。野辺の送りもなしとする葬家さんもおられます。
コロナ禍が治まり、早く通常が戻りますように。