和尚のミニ法話

光照寺の和尚によるミニ法話をお届けします。

和尚様和尚様2

2022/06/13

今頃、落ち葉掃き?

本堂前の桜の大木、この時期は日陰を作ってくれて大助かりです。
が、病気にかかっているようで葉っぱに茶色の丸いシミができ、枯れて落ち葉となっていきます。
先日、集落のアメシロ防除散布作業がありましたので、特にお願いして入念に薬剤を散布してもらいました。ここ数年の通例ですが、この散布が終わると数日で落葉は止まります。
それまでは毎日朝夕に掃き作務をしています。中々の苦労ものです。(秋は秋で落葉しますので、やはり掃き作務をします。)
写真:「織姫」や山アジサイ系列ですので、やや早咲きです。この後、青色が深まっていきとてもきれいです。

2022/06/12

鏧子から火鉢へ

あじさいの花を水に浮かべます。ちょっと素敵です。
去年は鏧子(けいす:ゴーンと鳴らす鐘のこと)でしたが今年は近所の方から火鉢をいただきましたので、これを使います。本当は睡蓮鉢がいいのでしょうが、火鉢もおつなものです。
早く咲いた花を浮かべていますが、開花はまだもう少し先のようです。毎日少しずつ変化していく様子を眺めるのもアジサイの楽しみ方の一つです。
今日は日曜日ということもあって、何人かおいでになりましたが「もう少しですね」と一様に・・・

2022/04/16

僧侶が用なしになる時代

写真:石庭と水芭蕉と桜の絨毯 どれもいい感じでマッチしていませんか。写真をクリックしてじっくりながめてください。

今朝のNHKニュースを見て驚きました。AIが脚本を書いた映画が注目を集めている・・・と。通常の私たちには思いもつかないような発想で脚本を作るのだと。このニュースを見ながら、お寺の役割の大部分もAIに取って代わられる時代が来るのではないかと心配になりました。佛法僧の仏と法は残るでしょうが、僧の役目の大部分はAIが賄うのではないかと。お経をよんで、葬式をするだけの僧侶は用なしになるのかもしれません。
僧侶の本質的なことに立ち返らないといけないなと強く感じました。
修証義に曰く「深く佛法僧の三宝を敬い奉るべし。・・・佛は是れ大師なるが故に帰依す。法は良薬なるが故に帰依す。僧は勝友なるが故に帰依す。」
僧は勝友なのです。少なくともお檀家さんや信徒さんにとって私は勝友であるのか、今一度問い直しをしなければなりません。AIが勝友であると言われないためにも。

2022/04/12

相撲の仕切りと桜の開花は似ている・・・

相撲を見ていて、若い頃は、力士が何回も仕切りをしているのが不思議で、さっさと立てばいいのにと思っていました。仕切りを重ねていくうちに力士に力が入ってきて見ている側の期待と興奮が加速されていく、その面白さがわからなかったんですね。年をとったせいかようやく相撲の奥深さが感じ取れるようになってきました。徐々に深まっていく様子に魅力を感じ取れるようになってきました。静から動へと移るまでの過程を楽しめるようになってきたというか・・・。
桜が咲きました。このところの暑さで一気に満開です。今朝は数輪だったのが夕方には満開です。今年の桜は、開花の過程をゆっくりと楽しむ時間を与えてくれませんでした。咲き始めから2分咲き3分咲き、そして5分、6分と進み、もうそろそろかなとか雨が降らなければいいがなとか期待や心配をしながら満開を待つ喜びが味わえませんでした。
満開の桜は綺麗ですし見事ですが、ちょっと残念な気持ちでもあります。

 

2022/04/05

春には冬と夏がある

春らしくなってきました。ですが時折り寒くなったりしますし、今日のように汗ばむ暑さになったり。「春には冬と夏がある」という言葉があるのだと檀家のご老人から教えてもらいました。
写真はあじさいの芽吹きの様子です。写真ではわかりづらいのですが、芽には花芽と葉芽があって、枝の先端についているのが花芽です。これが大きく伸びて花をつけます。葉芽は枝の途中にできたり地面からの新芽がそうです。いずれ大きく伸びていきますが花はつけません。花芽は秋にできますが、冬を超えて春まで残るかどうかは、冬越しの仕方と寒風の当たり方によるようです。株や鉢によっては花芽がほとんどないものもありますが、全体的にはまずまずかな。